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中部学院大学 人間理解基礎科目「環境と人間」サポートページ

Table of Contents

講義概要

「環境問題」にはタイプの異なるさまざまな問題が含まれているが、そのこと はしばしば忘れられる。地球温暖化や野生生物の絶滅、ゴミ問題などが「環境 問題」としていっしょくたに論じられることが多いので、個々の問題やそれら の関連についての理解がなかなか一般社会に浸透しないのが現状だ。

この授業では、環境問題とその対処法を深く理解するため、まず(1)「環境 とは何か」をあらためて問い直し、「環境」と「私」の本質的関係を探る。そ して、(2)1の環境理解に基づき、生態系と生物間相互作用のしくみを理解す る。ついで(3)われわれ人間の活動に焦点を絞り、人間と環境との相互作用、 およびそれがもたらす問題について理解を深める。最後に(4)「環境を保全 する」とはどういうことか、あらためて考え直し、持続可能な社会を作るため に必要な方策を考える。

各回の内容

第1部:環境とは何か?

1−1:はじめに:「エコ」を忘れよう!(第1回)

「環境問題」はタイプの異なる様々な問題の複合概念だ。だが、日本では それらが「エコ」という意味不明の言葉で総称されているため、個々の問 題への理解が進まない。 あいまいかつ有害な「エコ」という言葉 の語 源、「エコ」の乱用による弊害(グリーンウォッシングなど)をあげ、次 回以降の授業にむけた オリエンテーションとする。

授業の前に

今や、テレビや新聞などのメディアで「エコ」という言葉を見聞しない日 はないくらいだ。けれど、「エコ」って本当はどういう意味なのだろう? まず、あなたが「エコ」と聞いて思い浮かべるものごとは何だろうか?授 業の前に書きだしてみよう。

授業では、実際の「エコ」は果たしてほんとうにあなたが書きだしたよ うな意味で使われているかどうかを検討する。といっても、日常目にす る「エコ」のすべてを検討する時間はない。そこで次の3つの言葉をと りあげる。

  1. エコカー
  2. エコキャップ
  3. エコバッグ

どれも、耳にしたことがあるはずだ。「それなら知ってる」と思うだろ う。けれど、念のため、これらの用語の意味をWikipediaなどで調べてお いてほしい。

授業内容

この授業の目的は、環境問題について知識を深めることではない。もち ろん、知識も深めてほしいが、それよりも環境問題について「考える」 力をつけることのほうが重要だ。知識は考える材料であって、目的では ない。

環境問題に関する情報は世間に溢れかえっている。けれど、その中には真 偽不明の内容や、かつて正しいとされたけれども現在は否定されてしまっ たことが含まれている。正しい物や間違ったものもふくめ、あまりにたく さんの情報にさらされているせいで、私たちは「環境問題」について知っ ている気になりがちだ。だが、あらためて考えてみるとよくわかってい ないのだ。

第1回では、まずみなさんが環境問題について「実はよくわかっていな い」ということを知ってもらいたい。それを出発点に、第2回以降の授業 に望んでもらいたいと思う。

とっかかりとして、「エコ」という接頭辞のつく次の3つの言葉につい て調べてみよう。

  1. エコカー
  2. エコバッグ
  3. エコキャップ

まず、それぞれの意味は何か、考えてみよう。素朴な理解では次のよう なものになるはずだ。

  1. 「エコカー」とは燃費がよかったり排気ガスが少なかったりして環境にやさしい自動車のこと。
  2. 「エコバッグ」とはレジ袋を使い捨てにしないための買い物袋のことだ。
  3. 「エコキャップ」とはペットボトルのキャップを回収してリサイクル することでCO2を減らし、恵まれない子どもを救う運動のことだ。

本当だろうか? 調べてみよう。

  1. どの車が「エコカー」なのだろう?
  2. どんなバッグが「エコバッグ」なのだろう?
  3. 「エコキャップ」の回収にはどのくらいのCO2が必要なのだろう?  一人の子どもにワクチンを与えるために、どれだけのお金と資源、エ ネルギーが必要とされるのだろう?

調べてみて、どう感じただろうか?ずいぶんとイメージと違ったのでは ないだろうか。

このように「エコなんとか」はよく調べてみると何がどう「エコ」なの かよくわからないのだ。そもそも「エコ」って何なんだろう?そう思わ ないだろうか?

実はそもそも「エコ」って言葉は、いろんなところで便利に使われすぎ たため、もともとの意味がなんだかわからなくなっているのだ。という より、はじめから「もとの意味」なんてなかったのかもしれない。

悪いことに、「エコ」の意味があいまいなのをいいことに、本当は環境問 題のことを考慮していないのに、自分たちの商品やサービスを「エコ」だ とか「地球にやさしい」と言って宣伝する人たちがいる。そういうのを 「グリーンウォッシング」 という。

だから、これからは「エコ」って言葉を忘れることにしよう。それよりも、 世の中のものごとが環境問題に対して どうなのか 、それらを個別に、 丁寧にみてゆく態度をとることにしよう。そして、十分な情報を集め、他 人の主張をうのみにせず(私の主張も含めて!)、自分自身で考えて結論 を出すようにしてほしい。

その練習をしてみよう。次のふたつの主張について、あなたはどう考え るだろうか?

  1. 「オール電化」や「電気自動車」は環境にやさしい。
  2. 原子力発電は環境にやさしい。
発展

授業を踏まえ、次のことを考えてみよう。

  • 「太陽光発電」と「原子力発電」、それぞれの利点とマイナス点は何だ ろうか?そして、どちらが望ましいだろうか? あるいは、別のやり方 が必要なのだろうか?

1−2:【環境】と【私】1(第2回)

「環境」とは自分の外部に自分と独立して存在する実体を指す概念ではな い。「環境=世界−私」である。よって、環境とは 私に相対的 な概念 である。同時に、環境の価値や意味も、私に相対的である。

授業の前に

「環境」は英語で何といいますか? と尋ねると、「エコ?」と答える人 が結構いる。もちろん間違いだ。知らなかった人は、辞書で調べておこ う。

「環境にやさしい」という言葉を聞くことがある。お店にゆくと「環境に やさしい」とか「地球にやさしい」という謳い文句の書かれた製品がたく さんあるのに気づくだろう。どんな製品でもよいので、「環境にやさしい」 あるいは「地球にやさしい」と書かれた製品をひとつとりあげ、それがいっ たいどういう意味で「環境(地球)にやさしい」のか調べてみよう。

授業内容

「地球にやさしい」または「環境にやさしい」という言葉をよく聞く。今 回はこれらの言葉をとっかかりとして、「環境」についてのよくある誤解 をといてゆきたい。

まず、この映像をみてみよう。あるメディア企業が「アースデイ」のた めに製作した環境啓発のための映像クリップだ。緑豊かな「地球さん」 が「ぼくってとってもハンサムでしょ? ぼくがずっとハンサムでいら れるように協力してね」とわれわれに語りかけている。

ところがわれわれが「地球さん」を大切にしないと、次の映像のような ことになってしまう。工場だらけ、排ガスまみれになった「地球さん」 は咳き込んでいる。

「地球(環境)にやさしく」と言われたとき、あなたが思い浮かべるのは、 こうしたイメージではないだろうか? 人間が"それ"を汚さなければ、" それ"は健康でクリーンでいられる。けれど、人間がを大事にしてあげな いと、"それ"は病んで滅んでしまう。それではかわいそうだ。だから地 球に(または環境に)やさしくしましょう、というわけだ。

しかし、ここでひとつ考えてみてほしい。たとえば地球が排ガスまみれに なったとき、実際に咳き込むのは誰だろうか? 

「地球さん」は咳き込んだりしない。「地球さん」は大気の組成がどうな ろうと困らない。何億年も前は、地球上のCO2濃度は今よりずっと高かっ たけれど、地球は滅びなかった。では、誰が咳き込むのだろう?

それはあなたやわたしだ。

「地球にやさしく」「環境にやさしく」という標語をきくと、われわれ はしばしば、「環境」という何か自分とは独立して存在する実体がある かのように考えてしまいがちだ。しかし、それは錯覚にすぎない。「咳 き込む地球さん」はどこにもいないのだ。 環境は実体ではない。

では、環境とは何か? それは、「わたしをとりまく世界」全体だ。ただ し、普通「世界」には自分も含まれるので、「世界のうち、わたしでな いものごと」といったほうが正確だ。 「環境」=「世界」ー「私」 と憶 えておこう。

だから、環境とはほとんどありとあらゆるものごとのことだ。あなたが今 座っている椅子もあなたの環境、この部屋の空気も、外の景色も、宇宙の 星々も、あなたの環境だ。

といっても、望遠鏡「すばる」でも見えないような遥か宇宙の彼方にある 星のかけらが「環境」と言われても、ほとんど実感できないだろう。理 念的には「「環境」=「世界」ー「私」」だけれど、現実的には、あな たの環境は、理念的な環境全体のうち、あなたにとって意味をもつもの に限られる。

したがって、Aさんの環境というとき、それは「Aさんをとりまき、Aさん の生にとって意味をなすものごと」ということになる。「Bさんの環境」 「チンパンジーの環境」はそれぞれ「Bさんをとりまき、Bさんにとっ て・・・」「チンパンジーをとりまき・・・」となる。

ここから導かれることは、ひとくくりに「環境」といっても、Aさんの環 境とBさんの環境は必ずしも同じではない、ということだ。

AさんとBさんがとても離れて暮らしていたら、そもそもふたりをとりまく ものごとの多くは重ならないだろう。けれど、AさんとBさんが日頃生活 をともにしていたとしても、ふたりの環境は次のみっつの意味合いで異な る。

  1. AさんはBさんにとって環境の一部で、BさんはAさんにとって環境の一部である。
  2. Aさんにとって意味のあるものごと=Aさんの環境のなかには、Bさん にとってはまったく意味をもたないものがある。逆もまたしかり。
  3. AさんにとってもBさんにとっても意味のあるものごとだが、その意味 がAさんとBさんとで異なる。

つまり、 「環境」とは相対的なもの なのだ。だから、「誰の」環境か ということを考えにいれずに「環境にやさしく」などと言ってもだめなの だ。

環境とは何か、ということについて理解できただろうか。最後に、その理 解にもとづいて、かかりとして用いた「地球にやさしく」「環境にやさし く」という標語の意味を考えてみよう。それは、「地球さん」「環境さん」 にやさしくすることではないということはもう明らかだ。では、いったい 誰にやさしくすることなんだろう?

それは、 ひとことで言えば、 「私にやさしくする」 ことなのだ。も う少し詳しく言い換えると、「私の環境が私に対してやさしくあり続ける ように環境に働きかけること」なのだ。

発展
  • 授業の内容を踏まえて、あなた自身の「環境」とは何か、考えてみよう。 そして、それはあなたの家族や友人の「環境」と比べて、どこが共通で どこが違っているか考えてみよう。
  • あなたは、あなたの「環境」に対してやさしくしているだろうか? 言い かえれば、あなたは、あなたの環境があなた自身にとって好ましいもの であり続けるように環境に働きかけているだろうか?ということを考え てみよう。
  • あなたは、あなた以外の人の「環境」に対してもやさしくしているだろ うか? たとえば、あなたは、あなたの家族の環境がかれらにとって好 ましいものであり続けられないようなことをしていないだろうか? 考 えてみよう。

1−3:【私】とは何か? 1:代謝(第3回)

「環境=世界−私」を移項すると「世界=環境+私」となる。では世界のどの 部分が「私」でどの部分が「環境」なのだろうか。一見単純に思えるこの問い は、実は哲学的、生物学的、社会学的に重要な問題である。この授業では生物 の「私」性にとって重要な代謝活動についての理解を通じて 「私」は物質的 に定義されるものではない ということを理解する。

授業の前に

授業の中で次の質問をする。それぞれ、yesかnoで答え、同時にその理由 も述べてもらう。あらかじめ自分なりに考えておこう。

  1. あなたはテーブルの前に座っています。テーブルにはりんごが一つ置 いてあります。テーブルのりんごはあなたの一部ですか?
  2. あなたはりんごを手にとって食べました。りんごはあなたの胃袋の中 にあります。胃袋の中のりんごはあなたの一部ですか?
  3. りんごは胃から腸へゆき、栄養分が消化されました。消化されたりん ごはあなたの一部ですか?
  4. 消化されたりんごの成分は体をめぐり、最終的に排泄物となってあな たの大腸にあります。それはあなたの一部ですか?
  5. あなたはトイレにいって用を足しました。便器に沈んでいるあなたの 排泄物は、あなたの一部ですか?
授業内容
  • 「昨日の私」「明日の私」
    環境とは「世界のうち、私でないもの」だった。ということは、この世界 は「私」と「私でないもの」に分類できるということだ。

    では、この世界のどの部分が「私」で、どの部分が「私でない」のだろう か。上の質問は、「私」と「私でないもの」の分類は以外と難しいという ことを示している。

    上の質問に対する答えは人それぞれではないかと思う。それはそれで構わ ない。ここで理解してほしいのは、いま「私」だったものは明日は「私で ない物(イコール、環境)」になり、いま「環境」だったものは明日には 「私」になるかもしれないということだ。

    このように、私は環境からさまざまな物質をとりこんで それを私の一部 にする。 同時に、私を構成する物質の一部分を放出して環境にもどす。 このことを理解すると、「環境」というものが自分とは別個の独立した存 在ではない、ということがますます実感されるだろう。

    環境とは昨日の私であり、明日の私である、 ともいえる。

  • 10年前の私

    同じことを逆の側面から考えてみよう。10年前、あなたはどこにいて何 をしていましたか?

    ふつうに考えれば、答えはきっと「10年前は小学生で、・・・」となる だろう。だが、われわれが代謝する生物であることを思い出してみよう。 人間をはじめ、あらゆる生物は、それを構成する物質をつぎつぎにとり かえながら生きている。生きているとは代謝しているということだ、と 言ってもよいくらいだ。

    代謝の速度は体の部位によって異なる。手のひらや顔の皮膚、腸壁など の入れ替わりはものすごく速い。それに対して、骨などが完全に入れ替 わるのには10年くらいかかる。

    ということは、あなたが思い出した「10年前のあなた」は、骨のほんの 少しくらいを除いて、今のあなたとはまったく別の物質でできていると いうことになる。10年前のあなたと今のあなたは「別物」だ。

    では、なぜわれわれは「10年前の私」と「今の私」を同じ存在として認 識するのだろうか?この問題は次回で詳しく掘り下げてゆく。

    今は、次のことを考えてみよう。「今のあなた」を構成している物質は、 10年前、どこにいて何をしていたのだろうか?

    ある部分は、飛騨牛の骨だったかもしれない。また別の部分はサンマと して海を泳いでいたかもしれない。ほうれんそうやしいたけだったかも しれないし、空気や海の水だったかもしれない。アメリカの大地だった ものもあるし、逆に今となりに座っている友人の体の一部だったものも あるだろう。

    つまり、「今の私」は、環境のありとあらゆるところからもってきた物 質が寄り集まってできたものなのだ。

  • 50年前の私

    もう一歩、考えをすすめてみよう。では、50年前、あなたはどこにいて 何をしていましたか?

    物質レベルで考えれば、10年前のあなた、今のあなたと何もかわらない。 やはり地球上のあらゆるところにちらばっていたはずだ。50年前ではな く、100年前、100万年前でも同じことだ。

    とはいうものの、単純に考えれば、50年前あなたはこの世にいなかった。 お母さんのお腹のなかにもいなかったはずだ。

    けれども、あなたは自然発生したわけではない。あなたは、フランケンシュ タインのようにさまざまな物質を集め、化学反応によって作られたのでは ない。*あなたはほかの誰かから生まれてきたのだ。*

    地球上に生命が発生したのは約40億年前だといわれている。最初の生命 は宇宙から飛来したという説もあるが、地球上で自然発生したというの が現在の定説だ。そして、地球上に生命が発生したのはただ一度きりだ とも考えられている。つまり、現在この世に生きている生物はすべて、 40億年前に発生した最初の生物の子孫なのだ。このように、生命のつな がりという観点から考えても、「私」の存在は少なくとも40億年はさか のぼれることになる。

    けれど、だからといってあなたは自分の母親を「私」とは思わないだろ う。あなたの生命=代謝のシステムには40億年の歴史があるけれども、 あなたが「あなた」になったのはその歴史のなかのある時点からだ。

    では、あなたを「あなた以前」から分離する根拠はなんだろう?これも、 次回で掘り下げて考えてみる。

発展
  • 人間はじめあらゆる生物は、それを構成する物質をつぎつぎにとりかえ ながら存続しつづけている。そのようなものはほかに何があるだろう? 自然界や人間社会の中にあるものを考えてみよう。

1−4:【私】とは何か? 2:免疫(第4回)

「私」とは「私を作り出すシステム」である ことを理解する。生物学的 に「私」がどのように作られているか、免疫システムを通じて理解する。 くわえて、私を作り出す作業は生物学的なものに限らないということも理 解す る。

授業の前に
  • 10年前のわたしと今のわたしを「同じ」と考えられる理由はなんだろう?考えてみよう。
  • 臓器移植はなぜ難しいのだろうか?調べてみよう。
授業内容
  • 免疫と【私】

    免疫とは何か、と問われたら、病気に対する抵抗力だと答える人が多いのではないだろうか。 たとえば免疫力が強いとか弱いという表現があるが、「免疫力」を「病気への抵抗力」と言い換えても全く問題ない。

    たしかに病気に対する抵抗力は免疫システムの機能のひとつだが、それは免疫システム全体のことではない。 広い意味での免疫はとは、生体内への 異物 の侵入を防ぐさまざまなしくみ全般をさす。

    この授業は生物学の授業ではないので、免疫システムの詳細には立ち入らない。 この授業で免疫システムをとりあげるのは、それが「私とは何か」という問題と関連するからだ。

    今、免疫システムは生体内への 異物 の侵入を防ぐしくみだと述べた。 異物を排除するには、まず異物と異物でないものを区別できなくてはならない。 いいかえれば、自己と非自己を区別しなくてはならないのだ。 では、免疫システムはいったい何を 異物 として認識するのだろう?

    免疫システムの根幹では、リンパ球などの免疫関連細胞が異物を認識し、それを殺したり食べたり追い出したりする。 いわば、生体のガードマンだ。 ではこのガードマンたちは、どうやって異物を認識するのだろうか。

    免疫関連細胞をガードマンに例えたついでに、生体を「大学」に例えてみよう。 この大学のガードマンが不審者が大学に侵入するのを防ごうとしたら、どんなやり方があるだろうか。

    一番わかりやすい方法は学生や教職員が学生証や職員証など、自分がこの大学の関係者であることを証明するものを持っていることだ。 そうすれば、ガードマンさんは門の前で来る人の職員証や学生証をチェックすればよい。

    けれど、教職員、学生以外にも大学の「関係者」はいる。 出入りの業者や教職員の家族、友人、卒業生などだ。 かれらは学生証や職員証を持っていない。 この人たちは大学に入れない。

    これを解決するには、そういう関係者に入構証を発行するというやり方がある。 けれど、それは現実的でない。 たとえば卒業生がきょうだいを連れて大学に遊びに来た場合、入構証をもたない兄弟は大学の外で待たされることになる。 はじめてこの大学に求人をしようとやってきた企業や施設の人も入れない。 それでは困る。

    第一、こんなやり方では学生や教職員もパスカードを忘れたら入れない。 ガードマンさんが、いちいち「この人は関係者だろうか?」ということを吟味していたら、仕事が大変すぎる。 われわれも窮屈だろう。

    そこで、実際にはどういうことになっているかというと、ガードマンさんはほとんどの人を素通りさせるのだ。 みなさんも、正門前でガードマンさんに学生証を見せろと言われたことはないだろう。

    その代わり、ガードマンさんは「不審な人」に声をかける。 また、すでに不審者として識別されている人の写真などを持っていて、その人がきたら追い返す (ただし、ほんとうにこの大学のガードマンさんがそういう不審者リストを持っているかどうかは知らない)。

    生物の免疫システムも、実はにたようなやり方で 異物 を排除している。 多くの 異物 に共通の特徴をもったものや、異物リストに載っているものを見つけ、排除するのだ (そのやり方にはここでは立ち入らない)。

    ここで、このことを自己と非自己の区別という観点から考えてみよう。 学生証や職員証をチェックするというやり方は、まず関係者が誰かを決め、関係者でない人を不審者とするというやり方だと言える。 つまり「関係者以外立ち入り禁止」だ。

    一方、不審者の特徴や不審者リストをもとにチェックするやりかたはその正反対だ。 いわば、「不審者以外立ち入り自由」だ。 言い換えれば、ガードマンさんにとって、不審者でない人はみな関係者ですよ、ということだ。

    免疫システムは、このようにして自己と非自己を区別している。 つまり免疫システムにとって自己すなわち【私】とは「私でないものでないもの」である。

    なんだかややこしくなってきた。 整理しよう。 【私】とは何かの答えは「私ではないものでないもの」なのだ。 二重否定は肯定だから、「私とは私でないものでないものである」というのは「私とは私である」と言っているのと同じだ。

    要するに免疫システムは自己と非自己を何か客観的な指標で区別しているのではなく、自分自身で判断して決めているのだ。 実は、免疫システムに限らず、生き物はさまざまな場面でその都度主体的に、何が私で何が環境かを決めている。 心や記憶がなくても、生きているものには【私】性、すなわち自分で自分を形成する能力がある のだ。 これを主体性という。

    そして、自己と非自己を区別するしくみは免疫システムに限らない。 たとえば誰かがあなたの足を踏んづけたら「私を踏むな」と言っておこるだろう。 その人が「僕が踏んづけたのはあなたの靴だ。あなたじゃない」と言ったらあなたはそれを屁理屈だと感じるだろう。 あなたと靴は一体であり、靴はその場合あなたの一部だ。 それを決めているのはあなた自身(と一般常識)だ。 けれど、玄関に脱いであった靴を踏まれたら「私の靴を踏むな」というだろう。 何が私で、何が私でないかは状況によってその都度かわるのだ。 【私】と【環境】の境界は、その都度主体的に決定されるのだ。

発展

「臓器移植法」について調べてみよう。先日改正された「臓器移植法」に よって、家族の承認があれば満15歳未満の子どもの脳死者から臓器を提 供することができるようになった。授業の内容をふまえて、次のことを 調べたり、考えてみよう。

  1. なぜ脳死者からの臓器移植が必要なのか?
  2. 「脳死判定」の手続きはどうなっているだろうか。また、なぜやや こしいのだろうか。
  3. 改正は是か非か?

第2部:生態系と生物間相互作用

2−1:【生態系】とは何か?(第5回)

「環境」には「この私」以外に多様な「私」=「他者」が数多く存在する。 「私」と「他者」をあわせて「主体」と呼ぶ。生態系とは、これら主体お よび主体でないものごととの 相互作用 の総体のことなのだ。

授業の前に

地球上には、どこに、どんな生物が、どのくらい生息しているのだろう? 調べておこう。

「生態系とは何か、50字で述べよ」という問題がでたら、かなり困るので はないだろうか。みな、なんとなくわかっているようでなんとなくわから ないのが生態系だ。

しかし、あなたは義務教育で生態系についてかなりのことを学んでいるの も事実だ。そこで、授業に先立って義務教育のおさらいをしておこう。

  1. アサガオの種子の発芽に関係する3つの条件とは?(小5理科)
  2. 「食物連鎖」と「物質循環」という用語の意味を思い出してみよう (中学校理科第2分野)
内容
  • 「私」はワタシだけではない

    地球上には、人間が発見して名前をつけたものだけで200万種以上の生 物がいる。しかし、人間に発見された生物は全生物のごく一部にすぎない と考えられている。人間がまだ見つけていない生物は数千万種にのぼると 言われている。

    前回、あらゆる生きものには主体性、つまり「私」性があると述べた。と いうことは、地球上には数千万種の「私」がいて、それぞれがそれぞれに とっての「環境」をもち、それと 相互作用 しているということだ。

    相互作用 というあたらしい用語がでてきた。相互作用とはくだいてい えば かかわり合い だ。前回の繰り返しになるが、あらゆる生き物は環 境とかかわり合いながら次の二つのことをやっている。

    1. 物質の交換
    2. 主体性の維持
  • 食物連鎖と物質循環・エネルギーの流れ

    個々の生物はその環境といろんな関わり方をし、それを通じて体をつく る物質を交換したり、活動に必要なエネルギーを受け渡ししている。そ れは、主として「食べる・食べられる」というかかわり合いを通じて行 われる。さまざまな生物の間の「食べる・食べられる」関係のネットワー クを 食物連鎖 という。

    生物のあいだでは、主として食物連鎖を通じて互いの物質の交換や(物 質循環)、エネルギーの受け渡しが行われている。すると、個々の生物 はそのかかわり合いの中での固有のポジションが決まってくる。そのポ ジションのことを ニッチ(生態学的地位) と呼ぶ。

    それぞれの生物がそれぞれのポジションで働くと、全体としてひとつの システムができあがる。そのシステムのことを 生態系 と呼ぶ。生態 系の中で個々の生物が自分のニッチを変えたり、いなくなったり、新た な生物が侵入してきたりすると、生態系は変動する。場合によっては自 分や他の生物が安定して生存できなくなる。

  • われわれのニッチと生態系

    では、わたしたち人間(でもいいし、自分という個人でもいいが)はいっ たいこの世界の中でどのようなニッチを占めているのだろうか。たとえ ば、人間は食物連鎖の中でどういう位置にいるのだろう?

    中学校で学んだような、植物がいて、それを食べる草食動物がいて、さ らにそれを食べる肉食動物がいて、というような型通りの食物連鎖のイ メージでは、わたしたちのニッチは理解できない。わたしたちは植物も、 草食動物も、肉食動物も食べる。また、現代の日本人の食物は世界中の 海と陸地からかき集められている。わたしたち人間は 雑食動物 だ。

    わたしたちは、生きものだけではなく石油などに由来する多くの化学物 質も食べている。ためしにコンビニでおにぎりを買ってみるとよい。裏 の原材料名にはあなたの知らない物質の名前が列挙されている。海苔で くるんだおかかのおにぎりだと思っていたら、「原材料の一部に大豆、 卵、小麦を含む」と書かれている。

    一方、人間は何か別の生きものに食べられているだろうか? 現代日本の 都市部で生活している限り、わたしたちは何かほかの生きものに「食い 殺される」ことを怖れることはないだろう。その意味で人間は食物連鎖 の最上位にいる。しかし、昔はアカンボウが猛禽にさらわれたり、ネズ ミにかじられてしまうということも珍しくなかった。世界には、今でも 大型の肉食獣に人間か食い殺されることは少なくない。

    また、食い殺すわけではないが、わたしたち人間の体を食べて生きてい る生物は今の日本にもたくさんいる。蚊などの吸血昆虫や腸内細菌、体 表に付着する微生物などは日々私たちの体を食べている。

    また、食べないけれど人間を殺す生物もいる。病原性微生物がそうだ。 人間は人間を食べる大型の生物のほとんどを征服したけれども、目に見 えない微生物たちは未だに征服できないでいる。

    このように、今の日本においても、あまり意識しないけれども人間は多 くの生物とかかわりあいを持って生きている。しかし、人間の生物との 関わり合いは食物連鎖だけではない。わたしたちの衣食住すべてに多く の生物が関わっている。

    たとえば、わたしたちの衣服は綿や麻などの植物や、毛皮など動物の体 でできている。衣服以外の持ち物もそうだ。住環境にも多くの生物が関 わっている。衣服やすまいは、わたしたちが体に取り込むものではない けれども、わたしたち自身の「領域」にとりこむという意味で、環境か ら自分の中にとりこんでいるといえる。

    わたしたちは、日頃あまり自分が「生態系」の中で生きていると思わな いようになってしまったけれど、それは目に見えにくくなっているだけ だ。依然としてわたしたちは生態系の中で生きている。

発展
  • あなたの食べ物や身の回りのものは何でできていて、どこから来たもの か、調べてみよう。
  • あなたの家からでるゴミはどんな物質でできているだろうか? それら はどこでどのように処理されるのだろうか? 調べてみよう。

2−2:生物間相互作用:競争、捕食−被捕食、共生(第6回)

生物間相互作用の3つのタイプ、 捕食−被捕食 関係、 競争 関係、 共生・寄生 関係について、それぞれ例をあげながら概説する。くわえて、 これら3タイプにあてはまらない関係があることも例をあげて説明する。

授業の前に

あなたは、あなた自身の生活の中でどんな生物とどんな関わり合いをもっ て生きているだろうか?思いつく限り考えてみよう。

  1. あなたの役に立つ生物は? 逆に、あなたは誰の役にたっている?
  2. あなたにとって害のある生物は? 逆に、あなたは誰の害になっている?
  3. あなたと互いに助けあっている生物は?
  4. 人間に食べられる生物は? 食べられない生物は?
  5. 人間を食べる生物は?
内容
  • 3つの主要な生物間相互作用:捕食-被捕食、競争、共生

    生物間相互作用つまり生き物どうしの関わり合いはさまざまだ。すべて を網羅することはできないので、ここでは生物間相互作用の主要な3つ のタイプを学ぼう。

    ひとつめは 捕食-被捕食関係 だ。これは中学校で学ぶ「食べる・食べられ る関係」のことだ。

    食べる・食べられる関係といってすぐに思い浮かぶのは、ライオンがカ モシカを狩って食べるような光景だろう。つまり捕食者が被捕食者を 「殺して食べる(あるいは、食べて殺す)」関係だ。

    だが、捕食-被捕食関係はこのような「殺して食べる(食べて殺す)」も のだけではない。食べるけれど殺さない場合もある。たとえば草食動物 が草や灌木の葉・芽などを食べる場合、一体の植物を根こそぎすべて食 べるわけではない。草や木は食べられてダメージをうけるけれど死なな い。そして再生したところをまた食べられる。

    現代日本では人間が食べ殺されることは少ないが、食べられることなら 頻繁にある。蚊やダニなどの吸血昆虫はわたしたちの血液を食べている。

    ただし、蚊やダニなどに血を吸われるような関係は、ふつうは捕食-被 捕食関係ではなく、後述の共生関係の一種である「寄生」に含まれる。

    食べられる方が積極的に食べてもらうような場合もある。たとえば花蜜 や果実だ。植物は昆虫に花蜜や果実を食べてもらって、そのかわりに送 受粉や種子の散布をしてもらっている。ただし、こういう関係もやはり、 捕食-被捕食関係というよりはむしろ共生関係に分類される。

    ふたつめのタイプは 競争関係 だ。競争関係とは、同じ 資源 を奪 い合う関係だ。ここで 資源 とは食物やねぐら、太陽の光や水など、 生物が生きて繁殖するために必要とするものごと一般をさす。

    生態学では 競争排除の原則 というのが知られている。これは 同じ ニッチを占める(資源を利用する)異なる生物種は共存できない とい う原則だ。たとえば、AとB、2種のサルが同じFという果実を食べると する。これら2種が同じ場所を利用しようとした場合、AとBで仲良くF を分け合って半分ずつ共存するというわけにはゆかない。生き残るのは どちらか一方なのだ。

    しかし、現実には地球上のいたるところでたくさんの生物が共存してい る。それはなぜだろう? それは、生物たちが競争を避ける工夫をしてい るからだ。

    上の例の場合、サルAとBは同じFという果実を食べつつ、AはFのほかにG という果実を、BもFのほかにHという果実を食べるようになる。すると、 サルAとBの利用する資源は「重なりはあるけれども同じではない」こと になって共存できるというわけだ。あるいは、AとBが食べ物はかえずに すみ場所を少しずらすかもしれない。

    このように、競争関係にある生物が利用する資源を少しずつ変えること で共存するしくみを すみわけ とか ニッチ分割 という。競争排除 の原則の裏をかいて ニッチが異なれば共存できる となるのだ。

    このように、競争関係と競争排除の原則は生物の多様性を維持するため に重要な役割を果たしている。

    三つ目のタイプは 共生関係 だ。捕食-被捕食関係のところで少し説 明したが、共生関係とは生物同士が関わり合うことでお互いに利益を得 るような関係だ。

    例をあげよう。アフリカの熱帯地方に、パッションフルーツの仲間のバ ルテリアという木がある。この木には大きなアリが巣をつくる。このア リは凶暴で、誰かが木に触れると上から下りてきて噛み付く。これがも のすごく痛いし、腫れる。手をかまれると1週間くらいはソフトボール 大になるほどだ。アリはバルテリアに守ってもらっているのである。

    アリはなんでそういうことをするのかというと、バルテリアの木の先端 にいるアブラムシが蜜をくれるからだ。そしてそのアブラムシはバルテ リアの木から栄養分をもらって生きている。要するに、バルテリアがア ブラムシを助け、アブラムシがアリを助け、アリがバルテリアを助ける という関係にあるのだ。

    自然界にはほかにもさまざまな共生関係がある。捕食-被捕食関係のと ころで少し説明したが、いわゆる寄生も共生関係の一種と考えることが できる。たとえば人間は蚊に食われるとかゆくて不愉快だが、大したこ とはない。だから人間と蚊の関係では、人間は何も利益はなく、蚊は利 益を得ている。このように一方だけが利益を得る場合は 片利共生 と よぶ。

  • 生物間相互作用がもたらす生物多様性

    このような生物間相互作用は、結果としてこの世界の多様性を増やす。 競争関係のところで少し説明したが、捕食-被捕食関係や共生関係でも 同じことがいえる。

発展
  • ヒトと相互作用する生物にはどんなものがいるだろうか?
    • 捕食-被捕食関係
      • 捕食者
      • 被捕食者
    • 競争関係
    • 共生関係

2−3:ヒトの生態的地位:食を中心に(第7回)

ヒトの捕食者、被捕食者とは? ヒトの競争者とは? ヒトと共生する生 物、ヒトに寄生する生物とは? それらの生物は具体的にヒトとどのよう な関係にあるのだろうか。食生活を中心に、現代人の 生態学的地位(ニッ チ) を探る。

授業の前に

「ヒト」という種全体のことを考える前に、あなた自身のことを考えてみ よう。あなたの生活を成り立たせている生物や非生物にはどんなものがあ るだろうか?それらは、あなたの生活のどういう部分にどう関わっている のだろうか?とっかかりとして、次のことを考えてみよう。

  1. 今朝の朝食の食卓をできるだけ具体的に思い出してみよう。
  2. 食卓にあったものは、何だろう?
  3. それらはどこから、どのようにしてあなたの食卓にやってきたのだろう?
  4. あなたの食卓にかかわった生物、非生物はなんだろう?
内容

第6回で生物間相互作用について学んだ。それを踏まえ、今回はわたした ち人間がどんな生物とどのように相互作用しているか考えてみたい。

この一週間のあいだ、あなたはどんな生き物と相互作用しただろうか?相 互作用のタイプ別に思い返してみよう。

  1. 捕食、被捕食関係
    • あなたは何をどれだけ食べた?
    • あなたは誰かに食べられた?
  2. 競争関係
    • あなたは誰かと資源をめぐって競争しただろうか?
  3. 共生関係
    • あなたは誰かと助け合っただろうか?
  4. その他

生態学にさほど通じていない人は、おそらく「何をどれだけ食べたか」以 外の項目に答えるのは難しいと感じるだろう。競争や助け合いは、他の生 物よりもむしろ人間どうしの間で行っているものだと感じるのではなかろ うか。現代の日本で暮らしていると、食の場面をのぞいてわたしたちが生 物間相互作用を実感する機会は乏しいということがわかると思う。

しかし、これまでにも説明してきたように、私たちはさまざまな形で人間 以外の生き物と関わりを持っている。だが、それらの多くは知識として教 えられなければ実感しにくいのだ。

「食の場面をのぞいて」と述べたが、ではわたしたちはわたしたちが食べ るもののことをどのくらい知っているだろうか?食卓に並んでいる料理を みて私たちがわかるのは、それが何の肉か、なんという野菜か、という程 度のことだ。それらがもともとどこでどのように生きていて、それがどう いう過程を経てわたしたちの食卓にたどり着いたのか、私たちは知らない。

さらに言えば、わたしたちはそれが何の肉か、なんという野菜か、という ことすら知らないかもしれない。たとえば、ここにコンビニで購入した鰹 のおにぎりがある。このおにぎりは何でできているだろうか?

  1. お米
  2. 海苔
  3. 醤油・みりん

思いつくのはこのくらいだろうか。では店頭に並んでいる商品名と裏側に ある原材料表示を見てみよう。すると、上に挙げたもののほかに、聞いた ことのない、舌をかみそうなカタカナの添加物の名前がずらずらと書かれ ているのに気づくだろう。私たちはおにぎりだと思って添加物を食べてい るのだ。

もっとも、コンビニおにぎりに添加物が含まれていることは、現代人なら 常識かもしれない。しかし、最後に括弧書きでこう書いてあることはどう 思うだろうか?

  • 原材料の一部に小麦、卵、大豆を含む

大豆はしょうゆの原料だからまだよいとしよう。しかし、小麦や卵とはど ういうことだろうか。おにぎりをよく眺めても、米とおかかと海苔しか見 えない。食べても卵の味はしない。私たちはおにぎりを食べているつもり で、知らないうちに卵を食べているのだ。

こういうことは文字で書かれた情報として教えられなければわからない。 そして、すべてが書かれているわけではない。小麦や卵が含まれていると 書かれているのは、これらがアレルギーの原因になる可能性があるからだ。 使用した場合は書くようにと法律で定められているのだ。逆に言えば、法 律で表示を義務づけられていない食材は何が含まれているか、わかりよう がない。つまり、私たちは何を食べているかさえ、わかっていないのだ。 (念のため記しておくが、ここでコンビニおにぎりに有害物質が含まれて いると言いたいわけではない。)

さらに注意深く原材料表示を眺めてみよう。一番最初にあるのは「塩飯」 だ。これが「米」と「塩」でないことに注意しよう。おにぎりを作る会社 は、どこかから「塩飯」という製品を購入して、それを他の材料とまぜて 調理しておにぎりを作っているのだろう。そして、その「塩飯」という製 品にはやはり原材料表示があり、そこにはわたしたちがおにぎりそのもの の原材料表示をみて驚いたように、さまざまな添加物が含まれている可能 性がある。しかし、それらは最終的なおにぎりの「原材料表示」には記さ なくてよいのだ。

ここで理解してほしいのは、私たちは実際はさまざまな生物と相互作用し、 ひとつの生態系の中で生きているのだが、私たちの社会は、個々人がそれ を実感したり、その生態系の実態を知ることがとても難しいように作られ ているということだ。食に限らない。わたしたちの衣食住における生物間 相互作用の実態は 隠されている のだ。

だから、私たちが環境保全とか生態系保護というようなことに取り組む際 には、まず私たちの暮らしを成り立たせている生態系について 意識し て 学ばなければならない。そのうえで、その生態系の中で私たちがどん な生物と生物とどう相互作用しているのかを考えねばならない。それは言 い換えれば私たちの ニッチ を知るということに他ならない。

わたしたち人間が生態系の中でどのようなニッチを占め、個々の生物や生 態系全体にどのようなインパクトを与えているのかについては、第3部以 降で詳しく検討してゆく。今回はその準備として、私たちの日頃の食事が どのように作られているか、ある記録映画を見ることにしよう。そして、 上で説明したように、私たちが私たちの属する生態系と、私たち自身のニッ チについて如何に無知であるかを実感してほしい。

  • 映画タイトル「いのちの食べ方」(原題:Our Daily Bread / Unser Taglich Brot)
    • 2005年制作、ニコラウス・ゲイハルター監督
発展

食物以外のあなたの持ち物、たとえばコピー用紙や携帯電話ができるまで の過程には、どんな生物とどのような関わりあいがあるのだろうか? とっ かかりとして次のキーワードを調べてみよう。

  • 露天掘り
  • レアアース
  • 違法パルプ

第3部:人間活動と環境

3−1:人間活動の環境への直接的影響(第8回)

森林伐採農地拡大 、化学物質による 汚染商業的狩猟 に よる野生動物の減少など、人間活動が直接他の生物にもたらす悪影響につ いて概観する。同時に、それらがいかに人間の側に跳ね返ってくるかを知 る。

授業の前に

食物以外のあなたの持ち物、たとえばコピー用紙や携帯電話ができるまで の過程には、どんな生物とどのような関わりあいがあるのだろうか? とっ かかりとして次のキーワードを調べてみよう。

  • レアメタル
  • 露天掘り
  • 違法パルプ
内容
  • 人間活動による生態系へのダメージ

    人間は自然を破壊している、としばしば言われる。たしかに人間は生活す るうえで生態系に働きかけ、そこからもたらされる資源を消費したり、生 態系を改変するような活動を行う。しかし、それらすべてが「悪」である わけではない。人間も生き物である以上、生態系の中で他の生物とさまざ まな相互作用をしてゆかざるを得ない。

    しかし、世界の人口は今年ついに70億人を突破した。人間の平均体重を 40kgくらいと考えると、世界中の人間の総重量はおよそ3億トンにのぼる。 これはとてつもない量だ。それは、ヒトと家畜を除いたすべての野生動物 の重量のおよそ1/10にもなる。

    これほどたくさんいるので、ひとりひとりの活動が少なかったとしても (ほんとうは少なくないのだけれど)、人間全体の活動の総量はとてつ もなくなり、生態系に多大な影響を与えてしまうのだ。その結果、多く の生物が人間活動の直接的影響によって存続を危ぶまれる状況に追い込 まれている。

    他の生物の存続を危うくする人間活動を次のように分類してみよう。

    1. 生物資源として消費する
      • ヒトは野生の動植物を食べるために狩猟・採集する。生きるのに必 要ならば仕方がないが、中には珍味や贅沢な食事(グルメ)を楽し むために行われるものもある。たとえば、最近ゴリラやチンパンジー などの大型類人猿がグルメ目的でヨーロッパに密輸されているとい うニュースが報じられた。また、世界的な和食ブームのため、世界 中でマグロが乱獲されている。
      • 食に限らず、衣食住の要求を満たすために私たちは野生生物資源を たくさん利用する。これも、生きるために必要ならば仕方がないが、 贅沢のために利用することもある。たとえば野生動物の皮製品など。
      • また、食べてはしまわないが、ペットや観葉植物、コレクション、 医学実験などに野生生物を使うことがある。日本でも、チンパンジー に服を着せて面白おかしいことをさせて楽しむバラエティ番組が放 映されている。また、スポーツとして狩猟を楽しむ人々もいる。
    2. 生息地を破壊したり、減らしたり、劣化させる
      • 直接野生生物を消費するわけではないが、人間が土地をさまざまな 用途に利用・開発した結果、他の生物の生息地が減ったり、劣化し てしまうことがある。森林や干潟が農地に転用されることで、もと もとそこにいた野生生物が棲めなくなってしまうことがある。
      • 大規模に土地を改変しなくても、比較的わずかな改変が周囲に棲む 野生生物の暮らしに広範囲に影響を与えることがある。たとえば、 山林に大型道路を通したり、ダムや河口堰を作ると、けものや魚、 虫たちの移動の障壁となり、周辺の生き物が減少してしまう。
      • 人間の生活環境から排出される化学物質が、周辺の自然環境を汚染 することもある。去年はメキシコ湾の海底石油掘削基地で事故があ り、溢れ出た原油によって水鳥や水生生物に多大な被害が生じた。 また、東日本大震災にともなう原子力発電所の事故によって、広範 囲で野生生物が放射能に汚染されることとなった。この影響はどの くらいの規模になるか未だ予想できていない。
      • 近年では、化石燃料やレアメタル・レアアースなどの希少金属、希 土類の採掘のために森林や草原が破壊されてしまうことが問題視さ れている。私たちの生活に欠くことのできないものとなった携帯電 話などのモバイル機器にはコルタンという希少金属が使われている が、これがアフリカの熱帯森林の地下にたくさん埋まっているとい うので、各地で掘削がはじまり、ゴリラやチンパンジーの棲む森が 破壊されている。
    3. 生態系を乱す
      • 人間が意図的、あるいは意図せずに生態系をかく乱してしまうこと がある。近年問題となっているのが、 移入種 である。移入種と は、もともとその地域におらず、人間によって持ち込まれた生物の ことだ。外来種ともいう。外来種の中には移入先の生態系を乱し、 もともといた生物を駆逐してしまうものがいる。ここでは、日本の 主な外来種について、環境省の外来生物図鑑をチェックして、その 問題を押さえておくことにしよう。
    4. その他
      • その他にも、さまざまな人間活動が生態系にダメージを与えること がある。ここではその代表例として戦争について触れておく。戦争 は人間を死なせたり傷つけたりするだけでなく、戦地に生息する野 生生物にも多大な悪影響を与えるものなのだ。ベトナム戦争では、 アメリカ軍がベトナム兵の隠れる熱帯林に「枯れ葉剤」を散布し、 多数の植物を損なった。アフリカのコンゴ民主共和国で起きた内戦 の際には、難民となった人々が食料を得るために野生のゴリラを大 量に虐殺した。反政府勢力が国立公園のゴリラを殺し、自分たちの 要求を通そうとしたこともある。
  • 発展:私たちにできること

    こうした現状を前に、日本にすむ私たちにできることは何だろうか? 人 間活動が生態系に多大なダメージを与えるようになった根本原因はふたつある。

    1. 人間が増えすぎたこと
      • 冒頭に述べたように、世界の人口は70億人を超えた。また、人間は 陸上生物の中では大型のほうなので、人間の生物量はきわめて高く なった。この問題を解決するには、人間の数を減らすか、人間が小 さくなるかしかない。しかし、どちらもすぐには実現できない。
    2. 主に先進国において、人間生活が生態学的にみてとても贅沢になったこと。
      • 私たちひとりひとりが衣食住で消費する物質やエネルギーは、とて つもなく増大した。もしも世界中のすべての人が平均的な日本人と 同じような生活を送るようになったら、将来どころかたちどころに 私たちの環境は崩壊してしまうと言われている。
      • しかし、私たちの生活スタイルは大量消費を前提として構築されて いる。たとえばこの講義室は暗い。照明をつけないとノートをとっ たりレジュメを読んだりに支障をきたす。都市部の住宅やオフィス はヒートアイランド現象のために高温化しており、冷房なしに過ご すと場合によっては命に関わる。

    これら二つの原因の両方とも、ひとりひとりの努力によってどうにかな る問題ではない。社会全体を変えるのには時間がかかる。しかし、だか らといって手をこまねいていてはならない。

    現在のところ、ひとりひとりがなすべき努力は、まず第一に自分の生活 がどのように生態系に影響しているか、 知る努力をする ことだと私 は思う。知った上で、その影響を少しでも減らすにはどうすればいいか を考えるのだ。

    たとえば、携帯電話に使われているレアメタルのせいでアフリカの熱帯 林が壊されていると知ったら、まずは機種変更をした古い携帯をリサイ クルすることを考えよう。もっといいのは機種変更をしないことだ。

    近くで生産された食品は、遠くから運ばれて来た食品と比べて環境への 悪影響が少ない。輸送にかかる物質やエネルギーが少なくてすむからだ。 (こういう考え方を フードマイレージ という。)同じものなら近場 でとれたものを優先しよう。いわゆる 地産地消 だ。

    極端に安いものに注意しよう。たとえば紙だ。ホームセンターなどにゆ くと、コピー用紙やノートで、やけに安く売っているものがあるのに気 づいている人もいるだろう。極端に安い紙製品は、環境への配慮を十分 に行わないことによって生産されている可能性がある。この問題につい ては熱帯林行動ネットワークに詳しい情報があるので、参考にしてほし い。

3−2:人間活動の環境への間接的影響(第9回)

生息地の分断などの間接的影響や、 地球温暖化 が生態系に及ぼす悪影 響などを 概観する。同時に、それらがいかに人間の側に跳ね返ってくるか を知る。

授業の前に
  1. 「地球温暖化」についての自分の認識を振り返ってみよう。
    • 「地球温暖化」ってどういうこと?
    • 「地球温暖化」の原因は何?
    • 「地球温暖化」が進むと何がいけないの?
  2. 以下のそれぞれの文は正しいと思う?
    • 地球温暖化が進むと、多くの生物が死滅してしまう。
    • 夏の猛暑は地球温暖化のせいである。
    • 都市部の「ヒートアイランド現象」は地球温暖化のせいである。
    • 昔(江戸時代や縄文時代)は今より気温が低かった。
内容

「地球温暖化」という言葉は、この20年ほどの間に一気に一般社会に広 く知られるようになった。そして、地球温暖化は一般的に悪いことだと考 えられている。

ほかの多くの環境問題と同じように、地球温暖化問題もまた、その内容が よくわからないまま言葉やイメージだけが広まっているように思われる。 そこで今回は地球温暖化とは何なのか、その原因は何なのか、そしてそれ はなぜ環境問題と考えられているのか、といったことについて、基本に立 ち返って情報を整理してみたい。

  • 地球温暖化とは?

    はじめに簡潔に定義をしておこう。「地球温暖化」とは、「過去100年ほ ど、地表面の大気温、水温が全地球的に上昇傾向にあり、それが今後も 続くと予想されていること」を指す。

    いくつかポイントがある。まず、温暖化しているのは地表面だというこ とだ。「地球温暖化」というと、地球という天体が徐々に暖まっていっ ているように感じるが、そうではない。深い地中や海中の温度はかわっ ていないし、成層圏など高いところの気温はむしろ下がっているという 説もある。ちなみに、地表面近くというのは、要するに人間や多くの生 物が生息しているところだ。

    第二に、地球温暖化は局所的現象ではなくて、全地球的におきているも ののことを指しているということだ。近年、日本の都市部は夏場に異常 な高温になるが、それは地球温暖化のせいではない。都市開発による緑 地の減少や、埋め立てによる水面の減少、大規模開発による地形の変化 などが第一義的な原因だと考えられている。

    第三に、現在言われている地球温暖化とは、せいぜいここ100年くらいの 出来事だということだ。そして、100年前より温暖化しているということ であり、1000年前より温暖化しているかどうかはよくわかっていない。 以下に説明しよう。

  • 地球は温暖化しているのか?

    現在は、世界各国が協力しあって、ほぼ地球全体の気候を観測すること ができている。だからこそ、全地球的に気温や水温が上昇しているとい うことがわかるのだ。

    しかし、1000年前にそんなことができていたわけはないのはすぐわかる だろう。日本は平安時代だ。2000年前、5000年前、1万年前も同様だ。昔 のことはわからないのだ。だから、昔の気温はいろんな方法で推測しな くてはならない。

    昔の気温は、樹齢の長い木の年輪や、同じように珊瑚礁に刻まれる”年 輪”を使うなどしてある程度推定することができる。しかし、もちろん 地球上あらゆるところの気温を推定できるわけではないし、推定方法に よって異なる結果がでたりする。現在の大気温が1000年前より高いかど うかについては諸説あって、今がとびぬけて気温が高いのかどうかははっ きり言えないというのが現状だ。

    だから、「地球は温暖化していますか?」という質問に対する答えは、 「100年前と比べると確実に気温はあがっていますが、人類の長い歴史 の中で今が特に温暖な時期なのかどうかはわかりません。」 というの が答えだ。これは、やや意外な答えではなかろうか?

    ここでひとつ注意してほしいのは、「わからない」と「違う」は異なる ということだ。書店にゆけば、地球温暖化問題に警鐘をならす書物と同 じくらいたくさん、「地球温暖化は嘘だ」とか「温暖化は起きていない」 という刺激的なタイトルの本を見つけることができるだろう。ここで言 いたいのは地球温暖化が起きていないということではなく、起きている かどうかわからないということだ。わからないということは、起きてい る可能性もあるのだ。そこで、地球温暖化が事実とすれば、どういう原 因で起きているのか、また温暖化が進むとどういう不都合があるのかを 見てゆくことにしよう。

  • 地球温暖化の原因は何か?

    地球温暖化の原因は?と問われたら、「人間が排出する二酸化炭素 (CO2)です。」とほとんどの人が答えるだろう。そのように言われてい るからだ。それは本当だろうか?

    まず、本当に大気中の二酸化炭素の量(濃度)は増えているのだろうか?

    大気中の二酸化炭素の濃度も、気温と同じように最近100年程度について は精密なデータがある。それによると、ここ100年のあいだ大気中の二酸 化炭素濃度は急速に上昇していることがわかる。しかし、気温と同様、 過去1000年となると精密なデータがないのでさまざまな方法で昔の大気 中の二酸化炭素濃度を推定することになる。だから多少の疑問符はつく けれども、今の大気中の二酸化炭素濃度は、過去1000年の間でももっと も高いことがわかる。

    では、大気中の二酸化炭素の量が増えたのはほんとうに人間のせいなの だろうか?

    これはほぼ間違いなく、人間のせいである。産業革命以降、人間は石炭 や石油などの 化石燃料 をエネルギー源として利用してきた。石炭や 石油に含まれていた炭素原子が人間によって燃やされることで大気中の 酸素と反応して二酸化炭素が増えたのだ。

    ひょっとしたら「そんなことはない、石油や石炭を燃やしてできる二酸 化炭素よりも、草食動物のゲップに含まれる二酸化炭素の方が多いんだ」 という話を聞いたことがある人がいるかもしれない。それは間違いでは ない。けれど、現在地上にいる草食動物のほとんどは家畜の牛だ。つま り人間のものだ。だから、大気中の二酸化炭素濃度上昇の原因が草食動 物のゲップのせいだとしても、やはりそれは人間のせいだ。

    つまり、 ここ100年のあいだに、人間活動によって大気中の二酸化炭素 濃度は急上昇し、過去にないほど高くなった のは事実だ。そして、 * 二酸化炭素に熱をたくわえる働きがある* ことが、理論的にも、実験に よっても確かめられている。

    こう考えると、人間が排出する二酸化炭素のせいで地球温暖化が起きて いると考えるのには一理ある。けれど、ことはそう単純でない。

    それを理解するために、ひとつたとえ話をしよう。あなたが今、おなか の調子が悪いとする。そこであなたは胃腸薬を飲んだ。その胃腸薬には 確かに胃腸の働きを整える効果がある。そして2日後、あなたのおなか の調子がもどった。さて、あなたのおなかの調子がもどったのは胃腸薬 のおかげだろうか?

    胃腸薬も効いたかもしれない。しかし、2日間あなたは暴飲暴食を控え、 おなかにいいヨーグルトなんかも食べ、遊び歩かずに家で静養していた。 ひょっとして、胃腸薬なんか飲まなくても2日で体調はもどったのでは なかろうか?

    「地球温暖化の原因が人間の排出する二酸化炭素である」という理屈は、 上のたとえ話で「体調が回復したのは胃腸薬のおかげである」というの と同じ理屈なのだ。ちょっとややこしいけれど、 *二酸化炭素濃度が上 昇すると気温が高くなってもおかしくないが、だからといって、いま気 温があがっているのが二酸化炭素濃度のせいだとは言い切れない* のだ。

    そして、この点に関してはいろんな意見があって、まだ決定的な結論は でていないのが現状だ。中には、大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると 気温があがるのではなく、気温があがるから二酸化炭素濃度があがるの だ、と主張する人もいる。それには、一定の根拠がある。また、そもそ も大気中の二酸化炭素濃度と気温には関連はなくて、太陽活動の変化が 気温を決めているのだという説もある。

  • 地球温暖化が本当なら、どんな悪いことがあるのか?

    ここまでをまとめると、

    • 地球温暖化は本当に起きているのかには不明な点が多い。
    • 地球温暖化が事実だとして、それが人間のせいだということにも不明な点が多い。

    ということになる。最後に、これに加えて

    • 地球温暖化が事実だとして、それが本当に困ることなのかも、実は不明点が多い。

    ということを説明したい。

    地球温暖化は問題だということはよく言われているが、では具体的にどう 問題なのか答えよと言われたら、困ってしまう人が多いのではなかろうか。 現在、次のようなことがいわれている。

    • 現在の適地で食料生産ができなくなる。
    • 暑くて死ぬ人が増える。
    • マラリアなど熱帯の病原体が高緯度地方に進出する。
    • その他、予測不能な変化(気流や海流の変化)が発生する。
    • 生態系が大きく変動し、変動に対応できない生物が絶滅してしまう。

    これらはいずれももっともなことだ。そして、こうした問題を示唆する証 拠もたくさんあがっている。だが、ここでもう少し考えてみると、次のよ うなことがいえる。

    • 現在の適地で食料生産ができなくなる。だが、気温が高いほうが生物の 生産性は高い。
    • 暑くて死ぬ人が増える。だが、寒くて死ぬ人は減る。
    • マラリアなど熱帯の病原体が高緯度地方に進出する。だが、冷温帯の病 原体は減る。
    • その他、予測不能な変化(気流や海流の変化)が発生する。たぶん、悪い 変化もあればよい変化もある。
    • 生態系が大きく変動し、変動に対応できない生物が絶滅してしまう。一 方、生息適地を広げる生物も、少しはいるかもしれない。

    こうしたことのひとつひとつについては、いろんな人がいろんな主張をし ている。だからここではその真偽を深く検討するのはやめておこう。ただ し、理解してほしいのは、さまざまな主張にはそれなりに根拠がある一方 で、はっきりわからない部分もあるということだ。

  • ではどうすればいいの?

    地球温暖化問題にかぎらず、人間活動による環境への 間接的な 影響 については、わたしたちが思っているほど単純ではなく、まだまだわか らないことだらけだということを理解してほしい。

    では、わたしたちはどうすればいいのだろうか?

    たとえば地球温暖化問題に関しては、現在の国際社会のトレンドは「と にかく二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量を減らそう」というもの だ。しかし、もしも地球温暖化の原因が太陽活動の変動だとしたら、そ の努力は無駄になる。無駄になるばかりか、ほかの環境問題を引き起こ すかもしれない。

    実際、この日本でそれが起きた。東京電力福島第一原子力発電所の事故 による放射性物質による環境汚染だ。 *国や電力会社は「原子力発電は 二酸化炭素を排出しないから温暖化対策になる」といって原子力発電を 推進してきた。* けれど、その結果が放射能汚染だ。放射能汚染のほう が温暖化よりずっと深刻な問題だ(実はそれにも異論があるのだが)。 しかし、じゃあこれまでなされてきた二酸化炭素排出削減の運動はすべ て間違いだったのかというとそれも極論だ。

    では、わたしたちはどうすればいいのだろうか?

    答えは 「こうすれば大丈夫」という特効薬はない だ。一方で だか らといって「どうしようもない」ということもない ことも覚えておこ う。わたしたちに求められるのは、 *常に情報を集め、トータルで環境 への悪影響を減らすとともに、人間の幸せを実現できるようなさまざま な対策をバランスよく行う* ことだ

    地球温暖化問題を例にとれば、温暖化を食い止める方策も実施する一方 で、わたしたちが食物の品種改良や熱帯病対策など、温暖化に適応する ための方策も必要だ。そしてその際、誰かのいいなりになって「特効薬」 を信じないという態度が重要だ。

発展
  • 「原子力発電は温室効果ガスを放出しないから環境にやさしい」という 意見についてどう思うか、この授業を踏まえて考えてみよう。
  • 「地球温暖化対策のため」と言われている国や自治体、企業の取り組み は、ほんとうに地球温暖化対策になっているだろうか? ひょっとして 別の目的が隠されていないだろうか?考えてみよう。
    • クールビズ・ウォームビズ・スーパークールビズ
    • ハイブリッドカー
    • エコポイント・エコ減税(車、家電製品)
    • エコキャップ運動

3−3:人間活動の減衰がもたらす悪影響(第10回)

人間活動の増大のみが他の生物や生態系に悪影響を及ぼしているわけでは ない。人間活動が減衰することによって撹乱される生態もある。 里山 問題を通じて理 解を深める。

授業の前に

次のふたつのことを考えてみよう。

  1. 人間活動があるおかげで生き延びている生物にはどんなものがいるだろ う?
  2. 「里山」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 里山とは何か、調 べてみよう。
内容
  • 里山とは?

    「里山」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。まずは里山と は何か、用語の定義から見てみよう。

    • 「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」(広辞苑)
    • 「村里家居近き山」(江戸時代の文献;「里山学のすすめ」より
    • 「農家の裏山の給料か低山地帯の森林」(四出井綱英による定義;「里山学のすすめ」より
    • 「里山リンだけでなくそれに隣接する中山間地の水田やため池や用水 路、茅場なども含めた景観」(田畑英夫による定義;「里山学のすすめ」より

    言葉遣いはさまざまだが、おおよそ理解できると思う。少し解説を加え よう。

    まず、「里山」の「山」は英語の mountain に訳されるような山地のことではな いということに注意しよう。日本語の「山」には高いところという意味 のほかに、森林という意味がある。宅地や田畑ではない、自然の林や森 という意味がある。

    一方「里」とは、人々の暮らす場所のことだ。家や田畑、用水路や道な どを指す。

    だから、「里」と「山」とをくっつけた「里山」という語の意味は、 「里(近く)にある森」あるいは「人里と森林の混ざったもの」という ような意味になる。里山とは 人間界と自然界の境界にあり、両者の性 質をあわせもつ山林 だと言える。ちなみに、人里から離れて人間の影 響をうけない山林のことは「奥山」とか「深山(美山)」などと言われ た。

  • 人間の里山利用と里山の生物多様性

    里山は厳密には人間界ではないが、かといって人間がまったく利用しな いわけではなく、むしろ人間が積極的にそこで活動したり、そこから生 活の糧を得たりしてきた。

    たとえば、里山を利用した生業活動(生きてゆくための活動)としては、 柴刈り、炭焼き、焼き畑、狩猟・採集、林業などがある。また、里山に はクズ、ワラビ、カタクリといった山菜類、トチ、ドングリなどの木の 実、カシワなどの葉、竹やキノコ類、柴、薪や炭、家具や建材のための 木材など、人々の衣食住に直接かかわる資源が豊富であった。これらは、 山奥の森林よりもむしろ豊富で多様なくらいだった。

    このような豊かで有用な里山の環境は、田畑のように完全に人間が作り 出し、コントロールしているわけではなく、深山へと続く日本の自然の 生態系の中で維持されてきたものだ。とはいうものの、人間が里山で行 うさまざまな活動や資源利用もまた、地域の生態系の重要な要素として、 里山の生物多様性の維持に貢献してきた。たとえば以下のようなことが 挙げられる。

    • 適度な伐採により、野-山の循環が保たれる。
    • 下草狩り、柴刈りなどによって林床の生物多様性が保たれる。
    • 人間の作る田畑、水路などが生物の生息地となる。
    • 上記のような恒常的な人の手入れによって、害獣の進出が抑えられ、 人間生活への悪影響が減らされる。

    みなさんの中には岐阜の中山間地で育った人もいるだろうが、そういう 地域では今も里山は生きており、小さい頃は野山が遊び場だったという 人もいるだろう。子どもへのアミューズメントの提供もまた、里山の重 要な機能のひとつだ。やや美化した言い方をすれば、里山とは、衣食住 をまかない、学び、楽しむ場だということができる。

  • 里山利用の減衰と里山の変容

    しかし、高度経済成長期を境に、日本の里山は衰退、減少していった。 ゴルフ場や工場、杉や檜などの針葉樹の植林などに転用されたり、それ まで地域社会で管理されていたものが、管理放棄されることで荒地に変 化してしまったり、人の目が届かなくなったことで産業廃棄物が不法に 投棄されたりもするようになった。

    こうした変容は、里山であった地域の生物多様性を減少させる結果をも たらした。授業概要に記したように、里山における 人間活動の衰退 (増大ではなく!)が、生物多様性の衰退をもたらした のだ。

    なぜ里山の人間活動が衰退したのだろうか。それは社会の近代化にとも なう私たちの生活様式の変容と切り離して理解することはできない。

    まず、資本主義と市場経済の発展が挙げられる。とくに高度経済成長期 以降、日本人の多くは働いてお金をもらい、そのお金で衣食住をまかな う生活をするようになっていった。そして、里山の資源を利用する代わ りに、世界規模で流通するモノやサービスに依存するようになっていっ た。たとえば、今やわたしたちみんなが持っている携帯電話は、世界中 のあちこちからかき集めた原料を、これまた世界中のあちこちの工場で 部品に加工し、それを組み立てて日本に運ばれたものだ。

    第二に、エネルギー源の転換だ。かつて里山から得られる薪炭は重要な エネルギー源だった。今も山間部では薪でお風呂を焚いたりするところ があるだろうが、それはほんの数十年前までは都市部でも比較的当たり 前の事だったのだ。

    ところが、石炭、石油といった 化石燃料 が私たちの主たるエネルギー 源となった。近年はそれに 原子力 も加わっている。そのため、薪炭 林としての里山の価値も減少していった。

    このような変化の結果、里山と実生活の結びつきが希薄になり、実用的 にも、精神的にも里山の利用価値が減少していったと考えられる。

  • 里山の再生にむけて

    近年、「里山」の価値を見直す動きがある。里山という形態は、自然と 人間は対立するものであるという欧米型の自然観にはない、人と自然が 調和的に共存するひとつの形だと考えられたからだ。

    本学の根本にある福祉や教育の分野でも、里山を活用したさまざまな活 動が推進されるようになってきている。しかし、表面的な活動をするだ けでは、里山を再生したことにはならない。里山の価値は、上に記した 広辞苑の定義にもあるように、人々の生活との密接なつながりにある。 衣食住にかかる資源を世界市場から調達し、化石燃料に依存した生活を 根本から見直す必要がある。

第4部:持続可能な社会にむけて

4−1:持続可能性:どうすれば環境が保全されたことになるのか(第11回)

環境が保全された状態とは、変化はあっても生態系の存続が期待できるよ うな状態である。それを持続可能性と呼ぶ。持続可能な生態系の成立には、 生物多様性 が決定的に重要である。

授業の前に

環境を保全するとはどういうことかを考えるきっかけとして、あらためて この映像を見てみよう。

内容

第3部では、人間活動の増大や減衰が人間をとりまく環境にどのような インパクトを与えているのかを見てきた。第4部では、では人間をとり まく環境を守るにはどうすればいいのかを考えていこう。

上の映像について、あらためて考えてみる。この映像は、いっけん環境 保護の考え方をわかりやすくあらわしているかのようだ。健康的で緑の 「地球さん」が、「僕をずっとハンサムにしておいてくれよ」と呼びか けるのだ。関連動画では、工場の煙や化学物質で汚れてしまった「地球 さん」が、いかにも不健康に咳き込みながら「今からでもなんとかして」 と頼んでいる。

こういう映像が私たちに与える印象は次のようなものだ。「人間活動に よって自然を壊さないで! 自然を そのままにしておいて!

しかし、私たちだって生きている。自然に対して何も手を加えずにいるこ とはできない。第10回で示したように、逆に人間活動が減衰すること で失われる自然もある。

いったい、「地球さん」をハンサムに保つってどういうことなのだろう?

結論を先に述べよう。「『地球さん』をハンサムに保つ」、すなわち 「環境を守る」とは、自然をできるだけそのままにしておくことではな くて、私たちの生活の 持続可能性 (sustainability) を維持すること なのだ。

持続可能性とは何か? Wikipediaで「持続可能性」を調べる と、「持 続可能な開発」という項目に次のような記述がある。

  • 将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと

これは、国連のブルントラント委員会(環境と開発に関する世界委員会) が示した、持続可能な開発の条件だが、そのまま「持続可能性」という 言葉の簡潔で明快な定義になっている。以下に、この定義に込められて いるいくつかのポイントを解説する。

  • ふたつのポイント

    「持続可能性」を「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニー ズを満たすこと」と定義すると、ここから大きくふたつのことを読み取 ることができる。

    1. まず、社会の持続可能性を維持することは、必ずしも「自然をそのま まの状態に保つこと」ではない。人間のニーズがみたさ ればいいのだ。だから極論すれば、自然を破壊することでそれが実現 されるならそうしてもいいのだ。
    2. 次に、満たすべきなのは自分のニーズだけでなく、将来世代という 「他者」のニーズも同様に満たされなければならないのだ。一方で、 一部の過激な環境保護団体がやっているように、今生きている人々の 暮らしを犠牲にして自然を守るのは、正しいことではないのだ。この 授業では、当初から、「環境」とは「私」との関係においてのみ存在 すると繰り返してきたが、実は「環境」は「私」だけのものではない のだ。このことについては第13回以降で再度触れる。
  • どうすれば持続可能な社会が実現されるか?

    たった今、持続可能な社会を実現するのに自然保護は 必ずしも 必要 ではないと述べた。しかし、 * 現実には、 持続可能な社会の実現に 生態系保護、生物多様性保全は不可欠である。* それはなぜか、説明し よう。

    日本の都市部で暮らしていると、わたしたちの生活が自然とどう関わっ ているのかを実感することは難しい。都市部における「身近な(人手の 加わっていない)自然」は害虫や病原性微生物である、というのが実態 ではないだろうか。

    しかし、実際には、わたしたちの生活は、わたしたちが属する生態系か らさまざまな恩恵を受けて成立しているのだ。なるほど、わたしたちの 食事のほぼすべては、今や栽培植物と家畜、つまり人工的に作られた食 物だ(近年はそれに加えて工業的に合成された化学物質も大量に摂取し ている)。しかし、そうした家畜や栽培植物の生育環境は、やはり今で も自然の生態系によって維持されている面が多い。

    そういう生態系の恩恵のことを、 生態系サービス とよぶ。生態系サー ビスを人為に置き換えようとすると、それはとてもコストがかかるうえ、 不安定になる。たとえば栽培植物の受粉を地域に生息する昆虫にやって もらえば無料で手間いらずだが、それを人間の手で行おうとすると、と てもお金と労力がかかる(じっさい、日本は作物の受粉のためのミツバ チを、外国からお金をかけて輸入している)。

    だから、わたしたちは自然環境を人為的な環境で置き換えるより、今の 生態系をなるべく維持するほうが、長期的には「安くつく」し、持続可 能なのだ。

    では、生態系をどのような状態にしておけばいいのだろうか? いいか えると、どんな生態系がわたしたちにとって都合がよいのだろうか? そ れは、ひとことでいえば多様性の高い状態である。

    生態系にかぎらず、あらゆるシステムは、複雑で多様性の高いほうが壊 れにくい。音楽プレーヤー用のイヤホンのコードが、ポケットのなかで ぐちゃぐちゃにからまってしまった経験がある人は、けっこう多いと思 う。ぐちゃぐちゃにからまって、だまになったコードをほどくのは難儀 だ。反対に、きちんと巻いてあればかんたんにほどける。生態系もそれ と同じことだ。多様な生物が複雑にからみあっている生態系ほど、壊れ にくいのだ。イヤホンのコードはほどけやすくないと困るが、生態系は 壊れにくいほうがよい。

    そして、生態系の多様性と複雑性を支えるのは、生物多様性である。だ から、結局はいまある生き物の多様性をできるだけ保つことが重要なの だ。

  • 将来世代に何を残すか?

    生態系の多様性を保つため、生物多様性を保全するということには、も うひとつの意味がある。それは、「将来世代のニーズを満たす」ことと 関連している。

    先に述べたように、わたしたちは今ある自然を そのまますべて 将来 世代に残す必要はない。では、「将来世代のニーズを損なわない」ため に、わたしたちは「何を」残せばいいのだろうか?

    たとえば、パンダとキリン、どちらが将来世代に重要だろうか? クジラ とオキアミ、どちらだろう? 農地と原生林、どちらだろう? このよう に、取捨選択しようとすると、答えはでない。なぜなら、将来世代が何 をのぞむかは、現在のわたしたちにはわからないからだ。

    そういうときには、できるだけ多くの 選択肢 を残してあげることが 重要だ。わたしたちが選ぶのではなく、将来世代が選べるようにしてあ げるのだ。

    多くの選択肢を残すには、人工的なものよりも自然のものを多く残すの が理にかなっている。製造終了になった機械はいつか復刻することがで きるが、絶滅した生物は二度とよみがえらないからだ。

    その意味でも、生物多様性の保全は重要である。

4−2:現代社会は持続可能か?(第12回)

ヒトは化石資源、原子力、地熱や太陽光などを生存のために使えるエネル ギー に変換する。いわばヒトは地球最大の一次生産者になろうとしている。 同時に、 ヒトは最大の消費者でもある。この地球生態システムは持続可能 ではない。

授業の前に

第11回において、環境を守り、社会の持続可能性を維持するということは、 かならずしも「現状維持」でなくてはならないわけではないということを 学んだ。しかし、「現状維持」でなくてもよいのだとしたら、いったい我々 は将来に何を残せばいいのだろうか? 自分なりに考えてみよう。

内容

環境をまもるとは、社会の持続可能性を維持することだと説明した。では、 現在のわたしたちの生活は、持続可能なんだろうか? 考えてゆこう。

  • 現代社会のエネルギー源・資源

    現在のわたしたちは、衣食住にかかるエネルギー源の多くを石油や石炭な どの 化石資源 に依存している。そして、化石資源以外のエネルギー源 を使うのがとても難しくなっている。

    たとえば、現在の気密性の高い家庭で薪や炭を使うのは、たいへん危ない。 それから、生活の大部分に電気を使用している。現代社会で、停電すると 生活がどうなるか、わたしたちは今年身をもってそれを理解しただろう。

    いま、自分のあるいてゆける範囲、あるいは自転車で移動できる範囲内で、 衣食住に必要なものを入手できるか、考えてみよう。あなたの徒歩圏内に 本屋はあるだろうか?文房具屋は?かりに徒歩圏内に十分な小売店があっ たとしても、そのお店は自動車や電車を使わずに商品を入手できるだろう か?

    化石資源に依存しているのはエネルギーだけではない。衣食住の「原料」 にも多くの化石資源が使われている。化学繊維、肥料や添加物、建材や家 具の多くが石油化学製品である。

    これほどまでに化石資源に依存しているのだが、化石資源は有限だ。枯渇 したら今の生活は破綻する。

    よって、現代社会は持続可能ではない。

  • 現代社会の廃棄物・排出物

    現代社会には多くの廃棄物・排出物がともなう(「WALL・E」の世界)。 それらの多くはヒトやヒト以外の生物にとって利用価値がないか、有害で ある。たとえば、温室効果ガス、放射性廃棄物、有害化学物質。

    自然の生態系には、多少の有害物質は浄化する能力(自浄能力)がある。 だが、今や地球上には70億人を超えるひとびとが暮らしており、石油資 源を消費して大量の廃棄物を出している。とりわけ、先進国に暮らすわ れわれは、自分で消費する以上の廃棄物を出している。それは、自然の 自浄能力をはるかにうわまわり、蓄積する一方である。

    よって、現代社会は持続可能ではない。

  • 人間は生態系をあやつれるか?

    第11回で、わたしたちの生活は 生態系サービス があって成立してい ると言った。けれど、人間が英知を結集すれば、生態系サービスにかわ るものを、わたしたち人間の手で作り出すことができるかもしれない。 そしたら、わたしたちは人間だけで持続可能な社会を実現できるかもし れない。

    しかし、それは少なくとも現時点では絵空事だ。化石資源の一種である 石油は、数億年前の生物の遺骸が変成したものだという説が、現在のと ころ最有力だ。つまり、石油だって、もとをたどれば 生態系サービ ス のひとつなのだ。人間だけで生きてゆくことは、不可能だ。

    では、人間が人工的に人間に都合のよい生態系を作り、コントロールで きれば、持続可能な社会を作れるのではなかろうか?

    そういうことをまじめに考える人たちがいた(今もいる)。そして、実 際に完全に人間の管理下で生態系を維持する実験もおこなわれた。だが、 それは成功しなかった。何が生態系の維持の鍵になっているか、人間は まだ知らないのだ。

    まとめると次のことが言える。

    • 我々が依存している生態系が維持されるメカニズムには未知の部分が多く、人間は自力で生態系をコントロールする知識と技術をもたない。
    • そのため、今ある自然の生態系の何を残せば持続可能なのかわからな い。にもかかわらず、我々は無造作に生態系を改変、消費している。
    • よって、現代社会は持続可能ではない。

第5部:「コモンズ」としての環境

5-1:【コモンズ】について(第13回)

有名な 「コモンズ(共有地の悲劇)」 について概説する。

授業の前に

第一部の授業で、環境とは世界のうち、私でない部分のことだと学んだ。 ここでは一歩進めて次のことを考えてみよう。環境とは誰のものだろうか?

  • あなたの服は誰のもの?
  • あなたの家は誰のもの?
  • あなたの家族や友人は誰のもの?
  • あなたの通学路は誰のもの?
  • あなたは誰のもの?
内容

第11回で少しふれたが、「環境」は「私」との関係でのみ存在するのだが、 だからといって「環境」は私だけのものではない。では、誰のものなのか? それが今回のテーマだ。

答えを先に言うと、環境は「みんなのもの」だ。「みんなのもの」を英語 でいうと "commons" だ。

環境がみんなのものだったら、みんなが環境を大事にするだろうか、とい うと、なかなかそうはゆかないのだ。それを端的にあらわした語が、「コ モンズの悲劇」なのだ。

この言葉は、ハーディン (Hardin, G) が1968年にアメリカの科学雑誌サ イエンス(Science) に発表した論文のタイトルとして使われた。おおよ その意味することは「共有の」あるいは「誰もが利用できる(オープン アクセス)の資源が個々人によって過剰に利用され、その結果資源が枯 渇してしまうこと、である。

その意味を有名な例え話で解説しよう。共有の牧草地に複数の牛飼いが 牛を放牧している。牧草地の面積には限りがあるので、放牧される牛の 数が増えすぎると牧草は枯渇してしまう。全部で何頭の牛が飼えるか、 そして一人当たり何頭の牛を放牧できるのか、みんなわかっているのだ。

そこで、正直者は自分の割当て分の牛を放牧する。ところが、自分が牛 の数を調節しても、ほかの人が多くの牛を放牧してしまうひとがあらわ れる。そうすると、いずれ牧草地の草はなくなってしまうだろう。だと したら、自分だけ放牧する牛の数を調節するのはかえって損だ。いずれ なくなってしまうのなら、今できるだけたくさん稼いだほうがいいから だ。

こうして、取り決めは誰にも守られず、皆ができるだけ多くの牛を放牧 した結果、牧草地は荒れ、牧草は枯渇してしまった。

この例え話からいえるのは、「みんなのもの」は誰からも大事にされない ことがある、ということだ。これが悲劇なのだ。

さまざまなコモンズ

わたしたちの暮らす社会にも、さまざまなコモンズ(みんなのもの)が存 在する。

  1. まったく誰の者でもない、野生動物や大気、雨、公海、天体など
  2. 共同体の所有・管理におかれている、ため池や公民館、マンションの 共有部分など
  3. 道路や国立競技場、国有林のように、国や自治体など、公共のもの
  4. 駅や空港、水道や電気、ガスのように、もとは企業や個人のものだが、 みんなが利用してよいもの
  5. 誰かのもので、その人にすべての権利があるのだけれど、まわりの人 にとっても重要なもの。たとえばガーデニングをやっている人の庭を 近所の人が見て楽しんでいるようなケース。
コモンズの悲劇はどうすれば防げるか?

このようにコモンズにはいろんなタイプがある。そして、現実に牧草地の 例え話に似た事例はたくさんある。日本食が世界的に流行した結果、みん なが公海でマグロをとり、その結果マグロが激減してしまった、などだ。

コモンズの悲劇がなぜ起きるのかというと、「みんなのもの」という概念 がとてもあいまいなため、また、人々はどうも「みんなのもの」は「自分 のもの」ほど大事にしない一方、「ひとのもの」のように使うのを遠慮し ないためだ。

では、コモンズの悲劇を防ぐには、世界中のものを「誰かのもの」にして しまえばよいのかというと、そこはそう簡単ではない。あらゆるものの所 有権が決まってしまうと、かえって不便になることが多いのだ。

たとえば、学校に10万円寄付があったとする。これを「みんなのもの」と 考えれば、たとえば図書室の古くなったエアコンを買い替えることに使え る。しかし、10万円を生徒みんなに分配してしまったら、ひとりあたり 1000円にもならず、誰も扇風機すら買えない。

コモンズ(みんなのもの)の維持が大変だからといって、全てを私有物や 公共物にしても、問題は解決しないのだ。ではどうすればいいのか、とい うと、結局はわたしたちひとり一人が、他の生物も含め、他者がいないと 社会の持続可能性は維持できないのだということを理解することしかない。

5-2:【環境と私】から【環境と私たち】へ(第14回)

さまざまな環境問題のよりよい理解と対応のため、前半で学んだ環境概念 に修正を加える。私は独立した細胞の集合体であると同時にヒトという種 (個体群)の一員である。「私」は生態系というひとつの大きなシステム のサブシステムである。だとするなら、「私たち」というサブシステムも ありうるはずだ。*「私たち」* は共同体として生態系のなかでひとつの主 体たりうる。

(まとめに入るので、特に予習は必要ありません。これまでの授業を振り 返っておいてください)

5-3:おわりに:【環境】とは【私たち】そのものである(第15回)

環境概念の修正によって、「世界=私+環境」という式は「世界=私たち +環境」となった。では「私たち」と「環境」の境界はどこにひけるのか。 そこには正解はない。つきつめれば地球の生態系総体というシステムを 「私たち」と捉えることができる。そう考えると「世界=私たち=環境」 が成立し、環境問題とは 「私たちがいかに存続するか」 という問題に ほかならないことが理解される。

(まとめに入るので、特に予習は必要ありません。これまでの授業を振り 返っておいてください)

受講上の注意

授業中の私語、騒音は厳禁。

試験について

試験問題は授業終盤に告知するので、しっかり復習して試験に臨むこと。10 の設問のうち6つを選んで解答する。設問はすべて論述式である。試験時の持 ち込みは一切不可。

Author: Yuji TAKENOSHITA <yujitake_at_chubu-gu.ac.jp (please replace "_at_" to "@" manually; "_at_" を "@" に書き換えてご使用ください)>

Date: 2012-01-24 15:02:00

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